時代が違うという言葉を理解してくれる大人

日記と言うより雑記

自分も大人と言われる年齢ですけれど、どうしても父や母の世代の人間を称して「大人」と言ってしまうことがある。それは、別の意味であちら側から見るとずっと私たちは「子ども」だからかもしれません。

 

 

親戚が集まると、やはり昔の思い出なんかに花が咲きます。別に今をないがしろにしているわけじゃないのですが。共通の話題となると今現時点から遡って探すという行為になるのは当然のことなのかもしれません。

 

親戚一同が集まって、昔はああだったこうだったと言うことに関しては、私は全く構いません。むしろ聞いていて楽しいです。

特に旦那さんの叔父とのお話はその「楽しい」の部類に入ります。

 

何でかなーと考えてみると、押し付けられる物がないからなんですよね。

 

叔父さんは昔は羽振りのいい会社に勤めていて、今では退職しています。

昔はこんな客がいた。こんな上客もいた。そんな時代だったんだ。それが今ではこんな事になって全く儲からない仕組みになった。

一時期あんなに給料もらっていたのに退職するころにはコレだけだ。

そりゃー新入社員なんて入らないよ。だってさ、それで食っていけるかって言われたら無理だと思うよ。

俺だったら今から就職する候補に入れることはできないよ。

 

そんな流れのお話でしたが、これが聞いていて苦痛ではない。

 

何というか私が大人と呼ぶ部類の人々は、「昔はこうだったんだからあなたもこうしなさい」みたいな言い方で納得させることができると思っている人がちらほらいます。

けれども、その当時の条件と、今現在の条件が全く違ったりするのにそんな事言われてもなと。その言葉は納得出来るだけの背景が無かったりします。

それを理解して話してくれているかどうかで、聞く側の気持ちも全く違うものですね。

結局、出てくる結論の部分も違うものだけれども、自分に都合のいい結論を選んでいるだけかもしれないけれど、それでも聞くという姿勢が変わるのは確かです。

 

自分は結構恵まれているんだなと実感

自分の方の親戚もそれなりに理解してくれる人が多いです。

義父母も何かと気にかけてくれますし、今のところちょうどいい距離感を保っているのではないでしょうか。

 

これから色々と環境が変わってくることが増えそうで、何となく自分に言い聞かせる意味も含めてつらつらと考えていることを記しました。なんだか初心にかえるときに、こうやって外に向けて書いている物の方がいいような気がしまして。

自分への戒めみたいなものでしょうか。

 

テンポ重視の会話と違ってブログはゆっくり考えながら発言・発信するものなので、頭の中を整理できるのがいいですね。

文字を打ち出している時点ではまだまだ整理できていませんが、一度全部出すという事は大事です。

 

これから一カ月ほど環境ががらりと変わりそうです。どうなるかなってみなきゃわからないという事が不安なのかな。

まぁとりあえず何とかなるさ。

 

頑張れ、自分。

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